忍者ブログ
「子育ては一大事業である。だが、いまだかつてその適性検査が行われたことは無い」 (バーナード・ショー)
[6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

夫婦ってなんだろうな・・・
喧嘩というか、夫婦がうまくいかず、どうしようか考えているときによく考えた。

いろんなことに対する温度差がしんどくなって、
言っても無駄だと思うようになって、
相手を信じれなくなって、
一人で何でもするようになって、
一人で悩んで、解決のために動くのも自分で、
それでも夫婦でいる価値はあるのだろうか?   と。

私の出した答えはNOだった。
だったら夫婦でなくてもいい。
むしろ、夫婦に甘んじない分、夫婦でない方がいい。

-----------------------

幸か不幸か、救いの手を差し伸べてくれたのは子供だった。
もともとよく寝る子だが、食後すぐに寝てしまったことで2人の時間ができた。
特にやらなければいけないこともない。
必然的に話し合いの時間が取れてしまった。

私は夫の問いかけに対する言葉が出てくるのに、1時間かかった。
1時間待った夫が言った「何も言わないのを待ってると眠くなるからヒーターとめて」という言葉で話し始めた。
「(夫にとっては)眠くなるようなことなの?眠くなれるようなことなの?」と。

------------------------

結論は出ていない。
夫が何をわかってくれたのかもわからない。
けれども、普通に楽しい家族のクリスマス3連休を過ごし、普通の毎日を過ごしている。

当たり前のことが当たり前のように流れるようになった。

歯磨きをしないで寝る。
タバコをやめない。
小さいことはまだあるけれども、なんでもない毎日が幸せだと思う。
PR
夫は週末、私に怒られてばかりだ。

・スキー後の荷物の中身を出さないで押入れに入れていたこと(友達のビデオが入っていた、食品が入っていた、今年は毎週行くわけじゃない)

・土曜の夕食、風邪の菌が移らないようにサラダを取り分けてあげていたものの、そのうち自分の箸で取ったので全部食べるものだと思ったら、食べれず、結局捨てたとのこと。(余ったら日曜にマリネを上にのせて食べようと思っていた) →無駄な食費、手間

・日曜、子供が昼食の手伝い、ハシ運びなどをしてくれているのに、自分は寝て本を読んでいた。(直前まで私はすごく具合が悪くて寝ていたけど、時間なのでご飯を用意したにも関わらず)

・日曜、電気・ヒーターつけっぱなしでこたつで寝て、最終的に寝るのが遅くなって今朝起きれず→弁当作っていない→無駄な弁当代

・今朝、「子供に言う前に自分がやることやったら?」と怒られたからか、何もせずにボーっと台所に座っているから、「風邪ぶり返されたら困るから部屋にいれば?」→無視

・(これは怒っていないけど)日曜、サラダの件で怒られたからか、夕食の時間に出かけ、夕食を食べず、子供の遊具を作っていた。
 結果、あとでご飯類を温めなおし、お風呂を温め直し、無駄。
 いろんなことが後ろにずれ、時間の無駄。


結局、口だけで行動なしのことばかり。
家のことは私が「やって」といったわけではなく、自分から「やる」と言った。
だからお願いしていた。
でも、結果として、違う代償の方が大きかった(私の健康、薬代、子供の情緒)

自分の給料、身分相応のことを考えてほしい。
みんなと同じだけ稼いでいないのだから、同じことができるわけがない。
はっきり言えば、夫が家事をするのはありがたいとも思うけれども、 (育児休暇後の私より年収が低い)我が家の状況を考えれば当たり前だ。

最近子供に「ごめんなさい」を強要するけれども、自分が一番できていない。
信用したいと思っていても、この間の約束から何も変わっていない。

先週末の風邪だって、コタツで寝なければ、やるべきことをやっていれば、私が大変な思いをすることはなかった。
貧血か、疲れか、この間から何回か目の前がチカチカする。
(明日の検診で引っかからないといいな・・・)

何度試算しても、来年の家計は回らない。
お金お金と言いたくないけれども、やりたいことをやるためには、やるべきことをやらないと無理。
遊びたいなら、その分何かを削らなければ無理。

次の子が生まれるまであと少し。
私の我慢もあと少し。
日曜日はもちをついてみました。
もち米がよくなかったのか、イマイチ・・・残念

子供が寝てからは超お腹が痛い中、台所の掃除。
私がやらないと誰もやらないし、汚さが限界だから。
(私は作りながら台や、飛び散った油を拭いたりするけど、そうじゃないと・・・)

口だけさんを信じていても、やらないで年を越すのが目に見えてる。
子供が遊んで~というのに、それを無視してやることになるのが目に見えてる。
だったら、無理してでもやった方がいい。
自分と、子供のために。

------------------------------

夫が子供に「やることやってから遊ぼう」と怒っていた。
パーティで「お母さん(私)の言うことは聞くのに、俺の言うことを聞かないで頭にくるときがある」と言っていた。
私が母親だというのは一部ある。
でも、子供は人をよく見てる。

すぐ触れる、オムツ入れの隣に家計簿などの書類入れがあるけれども、大好きなボールペンが入っているけれども、触らない。
夫用の棚はいろんなものを引っ張り出しては落としている。

夫が寝込んでいるとき、お風呂に入る前には二人でおもちゃを片付けてからお風呂に入った。
「ぽーいっ」「ぽーいっ」とポイポイ遊びをした。

夫が子供を見ているとき、先に私と子供がお風呂に入るとき、部屋が片付いていることははっきり言って ない。
私が先にあがってきて、おもちゃを片付けてるのがほとんどだ。
帰宅した後もそう。
おもちゃが身近に散らかっていないから、子供も遊ばない。


「じゃあいいよ」
そう言って夫は子供を外で出すことで、子供が泣いてくるのを待ち、着替えやオムツがえをする。
私もそうすることがないわけではないけれども、夫は毎回そう。

子供は大人を見ていること、
大人に工夫が必要なこと(遊びながらするとか)
考えない人はいつまでたっても気づかない。
ワンパターンな行動、自分(大人)ができていないことを要求されていること、子供はちゃんと気づいてる。
子供だって馬鹿じゃない。
今日は裁判当日。
だけど検診とかで朝から外出。

裁判所につくと、もう弁護士さんはいらしていて、「こっちこっち」と手招き。
法廷の部屋の前にある椅子で待ちながらお話&流れなどの確認。

5分前くらいに法廷に入室。
思っていたより小さい。
私は後方真ん中の椅子に座って、弁護士さんは向かって右、検察官は左、目の前が裁判官(書記官他) と言う感じになる。
もちろん、傍聴人もいない。

-------------------------------

刑事裁判・交通違反・速度超過/スピード違反の裁判の流れはこんな感じ。
※違ったらごめんなさい

<冒頭手続き>  
 人定質問
  ▼
 検察官の起訴状朗読
  ▼
 黙秘権の告知
  ▼
 罪状認否
  

<証拠調べ手続き>
 検察官の冒頭陳述
  ▼
 犯罪事実に関する立証
  ▼
 被告人質問
  ▼
 情状に関する立証

<論終結>
 検察官の論告・求刑
  ▼
 弁護人の弁護
  ▼
 被告人の最終陳述
  ▼
 弁論終結
  ▼
 判決の宣告

-------------------

優しい裁判官だと事前に弁護士さんにお聞きしていたけど、よく話しを聞いてくれた。
聞いているときも「うん、うん」と相槌を打ってくれたので、話しやすかったし。
そういえば、私が不利になることは聞かれなかったな・・・

言いたいことを全部言えて、個人的には満足。
後は判決。と思っていたら、即決じゃない!?
裁判官が一応資料全部に目を通したいとのこと。丁寧だなぁ。
弁護士さんが「即決にしてくださいよ~」と頼んで、みんなの都合がつくお昼後に再開。

--------------

判決は予想通り敗訴。
罰金額も規定どおり。

裁判官も事情はわかるし、今の環境ではいたしかたないのもわかるけれども、法の下ではそう判断せざるを得ない。
大変な中での育児と仕事の両立だけれども、無理しないで頑張ってください。
というような内容だった。

仕方ないよね、と私自身も納得。
これからの社会が、少しでも女性に、母親に、優しくなりますように・・・


でも、訴訟費用(弁護士費用)の負担は なし だった。
コレは結構珍しい。(と思う)



「国選弁護士さんはお金にならないのに、親切にしていただいてありがとうございました」と言うと、
「仕事ですから」と、さらっと帰っていかれました。

弁護士さんとはほんの少しの関わりだったし、裁判は初体験だったけど、
本当にいい経験ができました。
先日、私にとってすごく大切な人と電話した。(結婚した人じゃなくて)
最近、大切な人、大好きな人と電話することが多いな・・・
先日結婚した人は5年ぶり、今回電話した人は3年ぶりになるかな?

私に「頑張る」ということについて教えてくれた人。
好きなことは頑張ってやっているんじゃないし、好きだからやっているだけ。

今までもたまに、メールをすることはあったし、今回もメールをしていた。
そしたら「電話で話さない?」って。
彼は泊まりの勤務中だった。
私は子どもが起きないように、布団の中で電話をかけた。

-----------------

深夜の電話はなんだか懐かしかった。
電話で話すことは 私の覚えがあっていれば2回目だと思う。
近くにいたときは「今から行くね」そう行って、家に来てくれた。
そして夜中中、話をしていた。
それを思い出して懐かしかった。

あの時店にいなければ会うことのない人だっただろうし、
その後私がたまたま鍋に行く気になって、
私がたまたま早く帰る気になって帰ったとき、彼も「帰る」と言わなければ、話すこともなかっただろう。
そして、私がほぼ初対面の彼のステップのないバイクの後ろに二人乗りになる気にならなければ・・・
私たちの出会いは、偶然の重なりだった。

彼ははっきり言って、人になつく方じゃない。
仲良くなったように思っても、どこかで一線を引き、一歩下がったところから冷静に自分を見る人種だ。
そう、彼も家族関係がスムーズにきた人じゃない。
知らず知らずのうちに、どこかでそうなってしまう独特の感じを持っている。

けれども、私はとてもよくしてもらっていた。
彼女でも何でもなかったのに。

私が一人でツーリングに出かけ、バイクで事故ったときも、仕事が終わって駆けつけてくれた。
女の子(しかも大型)だからといってまわりが「大丈夫?」とか、「誰でもあることだよ」とかなぜか慰めの言葉をかける中、彼は私が元気なことを確認すると、帰って行った。
(バイク屋にいたので、まわりは なんでこの2人がつながってるの?と不思議そうだった)
「今は気が張っているから痛くないだろうけど、夜になると痛むだろうから早くゆっくりしろ」という意味のメールが後で入っていた。
実際、帰ってから痛くて、鎮痛剤がないと寝れなかった。

北海道へ彼が一人で行った帰りにも、疲れているだろうに何となく寄っていったり、
我が家に来る途中でガソリンなくなっちゃったから、「灯油のポンプもってバイクで来てー」といってみたり。
私の大型バイクの卒研の前日も、覚えていないだろうと思っていたのに、メールが入っていたっけな。

とにかく、そういうことをするのが想像できない人だっただけに、不思議な関係だった。

でも、私は彼を傷つけた。
彼はもう覚えていないかもしれない。
でも、私はたぶん忘れない。
傷つけてはいけない人を傷つけてはいけない方法で傷つけた。
だから私はそのことに気づいた翌年元旦、軟骨にピアスをあけた。

-------------------

夢中になると見えなくなるものがある。
でも、考えなければいけないことがある。大事なことがある。
忘れていけないことがある。


電話をしていて、思った。
「お互い、年をとったね・・・」
今日は国選弁護士さんと打ち合わせに行ってきました。
刑事事件は個人がやるには難しいということで、いらないといっても まあ、たいていの場合弁護士がつけられます。
が、つけられた場合で敗訴になった場合、その費用は被告人もちなのが問題ですが・・・
免除のための書類を書いて免除してもらおう。

それで、打ち合わせは事前に電話をいただいた際に、言いたいことや内容をFAXしていたので話はスムーズ。
裁判の流れも詳しく教えていただけたし、自分が発言する場面・発言する内容もよくわかりました。
あと、法律についてとか、わからないところも丁寧に教えてもらったので、楽しかった!

国選弁護士の仕事はお金にならないので、適当に扱われるかと思っていたけれども、とても親切な方でよかったです。
しかも内容はたかが速度違反・スピード違反だし。
なのに、わざわざファイル1つ作っていらして、手書きのメモもびっしり。
負けるとわかっている裁判なのに、いくら仕事とはいえ、すごいな~と感心。

あとは当日を待つのみ。
私は間違いなく臆病だ。
だから、始める前にいろんなことを考えるし、調べられることなら事前に調べるし、やれることはやっておく。
自分の体力も、運も知っているから、危ない橋は極力渡らない。

たぶんそれは、いい意味でも悪い意味でも人を頼れないことを知っているからだと思う。
本や占を見ると、「両親に甘えることができなかった」と、たいていの場合書いてあるから、それはそうなんだろう。
確かに、自分の親からでさえ「もっと頼ればいいのに」「何も相談してくれなくて寂しい」みたいなことを言われたことは何度かある。

でもね、実際問題として頼ることができたのか?
自分の中で結果を出していたこともあったし、それは今でもわからない。

-------------------------------------------

本や占を見ると、親に頼ることができなかった子は「他人に頼ることができない、苦手」という。

でも、頼っていたら、何も進まなかった。
未来が見えなかった。

何かをやろうとしたら、
自分で動かなければ何も変らないこと、自分で何とかしなければいけないこと、幼心に知っていた。
小学生のときにはすでに、学校を卒業したら家を出ることを決めていた。
だから、小学生のときから生活に必要なことはほぼすべてできた。
高校を卒業後の進路を決めるとき、最初の希望は住み込みで働きながら学費が払えるところばかりだった。(結果は違う道に進んで親に出してもらったことになったけど)

--------------------------

だから、疑いもせず、親を頼れる人は ちょっと羨ましい。
他人に頼れる人は ちょっと羨ましい。
お金のことでも、「ちょっと貸して」「援助して」と言えることが ちょっと羨ましい。

いいじゃん 親なんだからそのうち返せば。
○○したことのお祝いとして返さなくてもいいんじゃない?

そういう人のほうがはっきり言って多い。
でも、私にはダメなのだ。
たぶん、何も言われることはないのだろうけど、後で何か起こることが怖い。
(大学でかかった費用明細を見せられても、どうしようもなかったし・・・)
自分のことは自分でキリをつけておきたい。

大学のときのダブルスクール代、約100万は半年で返済した。
ローンを組んだ方が気持ち的にも、返済的にも楽だった。(親が承認してくれなかったからダメだったけど)

----------------------------------------------

でも、だからと言って自分だけの人生を歩めない自分もいる。

例えば家。
建てるとしたら、どこに?
親の老後、祖父母の老後はどうする?(夫の親も含めて)
お墓はどうする?

自分の建てたい土地に建てて、もし親の介護が必要になったときはどうする?
一緒に住める?
一緒に住めなかったとしたら、介護に必要なお金は払える?

そのときの自分の仕事は?
育児は?
かと言って、自分の老後に賃貸で家賃を払い続けられる?

目の前に、自分の祖父母の介護が見え隠れしている。
生まれ育った家は、何かあったときにはもうたぶん、遅い。
家のことをできる人は祖母しかいない。祖父と父親は何もできない。いざとなったら・・・
(去年は本当にどうしようか、悩んだ。
育児休暇中だけでも帰ろうか、祖母の負担を軽くできるように料理を冷凍で送ろうか とか)
母親は仕事せず、いまだ一人暮らしだ。いつ、何があってもおかしくない。でも、私がしてあげれることがない。
夫の両親も今は元気だが、いつ、何があるかわからない。

長男長女、自分のバックは空ではない。誰かが代わってくれるものじゃない。
切り捨てられたら「私は私の人生だから」と言えたら、どんなに楽だろう。
何度そう思ったことか・・・

----------------------

私は「実家に帰ると疲れる」
と言いながら、毎年 盆と正月は必ず帰っていた。
今は年に1回しか帰れないが、準備しているときの私を夫は何ともいえない顔で見ている。

でも、帰れば帰ったで年に数回しか会わない家族の顔を見て、ホッとする。
まだ自分のことを優先できる・・・

今年の正月、祖母は「お姉ちゃんは帰ってくる(婿をとって家を継ぐということ)と思っていたから、もちつきも、料理も、いろんなことを教えてきたけど・・・」と言っていた。
祖母の言葉に悪気はない。

-----------------------------------------------------

自立することは悪いことではない。
でも、今1才半の子どもに、「自分で」「自分で」という自分を見て、どうなのかな・・・と、ふと思うときがある。

急いで大人になんてならなくていいんだよ。
そういえる 気持ちも体力も財力も 余裕を持ちたい。

不安なときがあると親のそばを離れない子どもに、今は救われている。

最近、また本を読み出した。

楽しくて、ただ新しいことを吸収したくて読んでいるときもある。

でも、周りを閉ざそうとしているときがあること、

1日に一気に読もうとするときは そう、わかってる。

 

何にも考えなくてよくて、ただ没頭すればいい時間が 私には必要。

多分、自分の中での充電時間。

現実逃避といわれれば、それもそうだと思う。

 

それは、遊びに没頭する感覚にも似ている。

ただ、本に没頭するときは「人と関わりたくない」ということを除いて。

 

本を読んでいても何も変ることはない。

自分で未来は変えるもの。

自分で動かなければ、何も変らない。

 

でも、そんなことに疲れても、立ち止まってもいいんじゃないか、

ちょっとそう思う時間。

振り込まれていました!

詳しくはこちら ハローワークインターネットサービス

育児休業者職場復帰給付金=休業開始時賃金日額×支給日数×20%
 支給日数→実際に支給された育児休業基本給付金の支給日数の合計(1歳まで休んだとしたら、産前産後休暇の期間を除いた育児休暇の期間)

私の場合、予定日ぴったりで産んだので、303日分でした。
結構な額にびっくり☆&うれしい一時金♪
これで二子の分娩費とか、足りない生活費が何とかなる・・・(←現実)

そして、今回の給付、私は言ってみればラッキーでした!

■※育児休業給付の育児休業者職場復帰金の支給率が変わりました。

平成19年3月31日以降に職場復帰した方から平成22年3月31日までに育児休業基本給付金の支給対象となる育児休業を開始した方については、暫定的に育児休業者職場復帰給付金の給付率が20%相当額となり、全体の給付率は50%となりました!
 ※平成19年10月1日以降に育児休業を開始された方については、育児休業給付を受給した期間は基本手当の算定基礎期間から除かれます。

なのですが、注意点というか、大事なのは職場復帰と言うより、育児休業終了日!
雇用保険の育児休業終了日が3/31になっていれば20%ということです。
(保育園入園の待ちのためとか、正当な理由があって育児休業を延長しているなら)
そうでない場合(例えば3月20日に産んで10日有給休暇を使って4月1日から復帰とか)は10%です。
10%と20%の違いは大きいですからね・・・

同じ50%なら給料の出ない、育児休業期間の育児給付金を休業給付金を30%→40%にあげてよ・・・と思いますが、目的が雇用の継続のため、6ヶ月休業を取る前の会社で働いたら、というのが条件のようです。
調べていたら、ちょっと心配事も。
復帰後12ヶ月経たないで産休に入る私。
育児休業給付金ってどうなるの!? 調べなきゃ・・・
久しぶりに本社に行った。
というほど久しぶりでもないか。
会社の先輩と話をした。

「お腹大丈夫?」とか、声をかけてくれる人は本当にありがたい。
そして、仕事の代わりをしてくれる人はいるけれども、親の代わりをしてくれる人はいない。
「すみません」 と頭下げる訓練の期間だと思って、少しの間なんだから、仕事は後回しで 子どもを優先でいいと思うよ。
いろいろ言う人もいるだろうけど、本当に苦労した人、経験した人しかわからないことなんだから。

そう言ってもらえること、本当にありがたいと思う。
その人は決して、人の前に出てくるタイプの人ではない。
でも、見るところはちゃんと見ていてくれる。

子育てと仕事の両立は特別なことじゃない。
でも、実際に経験した人でないとわからない。
しかも、当事者として。
(だから奥さんに任せきりの旦那さんもわからない)

私も年をとって、少し経験をして、若いときとはだいぶ考えが違っている。
子どもを育てているお母さん、育て上げたお母さん
本当にすごいな、と思う。
たった数年だけど、私もいろいろ勉強させてもらっている。
育てると言うこと、教えると言うこと、社会について などなど・・・

何でもないことのように、両立は難しいことではないよ というように、
毎日を過ごせたらいいと思うけれども、実際そうはいかない。

「よくやってるね」「大変だよね」
そう思ってほしくてやっているわけではないけれども、
そう声をかけてもらえること、わかってくれる人がいることは本当にありがたい。
(「頑張ってるね」は私にとって違う意味なのであまり嬉しくないけど)

何かあったら声かけてね。
自分の逃げ場があることも ありがたい。
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
ブログ内検索
最新コメント
[06/01 かめ]
[05/16 ぶろぐひろば]
[05/07 風音]
[05/06 kazu]
アクセスカウンタ
2008.4.10設置
アクセス解析
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]